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宿曜占星術 無料診断のご利用方法
(必ずお読みください)

○「親栄でも魅力を感じなかった」「安壊でも結婚できた」等を理由に「宿曜占星術は当たらない」と判断する前に、まずは「相性」や「正しい安壊?」をはじめとする「宿曜師の独り言」をご一読下さい。

○他サイトで調べた宿で、当サイトの各宿を見ても当たらないケースがあります。
他サイトの暦で宿を調べ、当サイトで各宿の解説を読むように誘導している掲示板などがありますが、これではきちんとした診断が出来ません。詳しくは「」をお読みください。


宿曜師の独り言


宿曜占星術とは  宿曜占星術は「成功のための方法論を導き出す占い」です。
 同じ生年月日でも、環境(特に人間関係)が違えば全く違う運命をたどります。宿曜占星術はあなたの家族関係・友人関係・会社の人間関係などから、あなたにもっとも適した「成功への方法論」を導き出してくれます。

 宿曜占星術の発祥の地はインド。仏教の経文の一つ「文殊師利菩薩 及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」(通称:宿曜経)として、真言密教の開祖、後の弘法大師・空海が中国より日本へ持ち込みました。そして、平安期に陰陽道に対する「宿曜道」としてその隆盛を極めた東洋占星術です。...[詳しくはこちら]

宿曜占星術 無料診断のご利用方法 ●まず「1926年〜今年までの4桁の半角数字を入力してください。」の下にある空欄に、占いたい人の生年を入力し、該当する年表を表示させます。

●年表はスライド式になっていますので、月と日から宿を探してください。宿は各宿のページへリンクされていますのでクリックして該当のページへ進んでください。

●相性を見たい時は自分の宿のページで、星見表から相手の宿を割り出し、各宿のとの相性から相手の宿をクリックすると、相性が表示されます。

●相性には<基本相性>と<一言>を書いておきました。両方を読み合わせてください。その上で、相手の星の本性や、相手から見たあなたの相性を見るとよりよく理解できるでしょう。

●毎日の運勢がピンク色になっている部分は吉凶逆転期間です。

 宿曜占星術のベースは旧暦です。ですから皆さんの生年月日を旧暦に戻す必要があります。一言で旧暦と言っても簡単には旧暦にできません。そこで星見表を使うわけです。

 暦には今の太陽歴に閏年があるように、閏月・閏日があります。同じ宿が2日並んだり、とばされたりするわけです。このあたりに興味のある方は、27宿の暦の算出法などを調べてみると良いと思います(28宿説の方には簡単な計算法があるらしいのですが、詳しくは知りません)。ちなみに、27宿の簡単な計算法はありません。

 ここに公開するものは宿曜占星術のすべてではありません。簡単に楽しめる範囲のものにしています。実際には27宿を7曜で分けるなど、もっと細かく細密になるのですが、ここではあえて宿のみの診断にしてあります。

宿曜占星術の歴史 インドから中国、そして日本へ

 宿曜占星術とは真言密教に伝わる「文殊師利菩薩 及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」(通称:宿曜経)という上下2巻の経文です。経文ですから当然宗教色も色濃く、「出家すれば吉」という事も書かれていたりします。

 こんな宿曜占星術のルーツは、仏教と同じインドです。ある資料によれば、約3千年ほど昔、文殊菩薩により教えられた秘術であり、文殊菩薩にこの秘術を教えたのは釈迦尊であるとされています(釈迦が生まれたのは約2千5百年前ですから、すでに矛盾がありますが…)。

 実際の所、歴史に密教占星術(宿曜占星術)が登場するのは4世紀頃、インドの天文学者・バラー・ハヒミラ著「プリハトサンヒター」とい占星術の本が最古であり、宿曜占星術の原典とされています。
 宿曜という名が歴史に登場するのは8世紀頃、不空三蔵が翻訳・編纂した「宿曜経」を中国に伝えてからになります。

 実は28宿を用いた密教占星術は「摩登伽経」をはじめ40種以上あります。その中でもホロスコープとして体系化が進んでいる物が、不空三蔵の編纂した、この「宿曜経」だったのです。

 時は流れ、不空三蔵が亡くなたった30年後、中国に真言密教の開祖、後の弘法大師・空海が海を渡ってやってきました。空海は日本にある既存の腐敗した仏教を嫌い、密教と出会い傾倒していきます。そして「宿曜経」を身に付けていったのです(宿曜経の巻物自体は甥の円珍によって日本にもたらされたという説もあります)。

日本の暦と占星術

 ご存じの方も多いかと思いますが、暦・占術と言うものは中国の例に漏れず、日本でも帝王学の一つとして、当時の統治者たちに用いられました。当然、宿曜占星術もその中の一つでした。

 日本で初めて暦が使われたのは600年代の初頭、聖徳太子によって仏教と共に政治に採用されたのが始まりです。また日本書記によると600年代後期には、すでに陰陽道が盛んに使われるようになってきていたようです。

 そして、さらに約100年後、空海が中国より「宿曜占星術」を持ち帰ったのです。  宿曜占星術も時の政治に組み込まれ、平安の時代には「宿曜寮」という物が出来、陰陽と宿曜として隆盛を極めました。あくまでも余談ですが、かの有名な安倍晴明すら宿曜も使っていたと言う話もあります。

 ちょうど宿曜が隆盛を極めた平安時代、藤原氏が権勢をふるうようになると、占いも統治者の秘術から、貴族の社会の秘術へと様変わりしていきます。

 貴族の特権として独占されていた宿曜占星術は、密教が衰退し、浄土宗・日蓮宗の隆盛に呼応するようにその姿を消していきます。

戦国時代〜そして現代へ

 「竹取物語」「源氏物語」といった文学にも影響を及ぼしたと言われる宿曜占星術も、平安時代以降になるとその姿は歴史上から消えてしまいます。とはいえ、全く消えてしまったわけではありません。

 貴族政治から武家政治に移行すると、宿曜占星術も武家に流れ、特に軍略に用いられるようになりました。
 これは特に珍しいことではなく、古くは三国時代を代表する諸葛亮孔明がその軍略に占星術(北斗法)を用いた事を代表として、日本でも主立った武将は占星術で未来を占ったようです。宿曜占星術で言えば、かの名将、武田信玄の軍配に28宿が描かれていたりします。

 江戸時代に入ると徳川家康の側近中の側近、天海僧正が宿曜占星術を用いたと言われています。また3代将軍家光の頃には、それまでの暦の誤差を修正した貞享歴を完成させた渋川春海が分野説(28宿を地理と結びつけた説)を日本に当てはめるなどの試みもなされたようです。さらに時代が進み8代将軍吉宗の頃になると、僧侶の覚勝が「宿曜要訣(3巻)」を、堅雄が「宿曜経提要」「宿曜経要尽図釈」を著わしました。

 明治以降宿曜に関する書物は多く刊行されたようですが、民間で用いるには複雑で未整理の物が多かったようです。

 このように戦国時代には全く歴史の表舞台に出てこなかった宿曜占星術は、この時期に一度口伝が途絶えてしまったという説がついて回るのです。