帝王学
ご存じの方も多いかと思いますが、暦・占術と言うものは中国の例に漏れず、日本でも帝王学の一つとして、当時の統治者たちに用いられました。当然、宿曜占星術もその中の一つでした。
日本で初めて暦が使われたのは600年代の初頭、聖徳太子によって仏教と共に政治に採用されたのが始まりです。また日本書記によると600年代後期には、すでに陰陽道が盛んに使われるようになってきていたようです。
安倍晴明も使っていたとか
そして、さらに約100年後、空海が中国より「宿曜占星術」を持ち帰ったのです。
宿曜占星術も時の政治に組み込まれ、平安の時代には「宿曜寮」という物が出来、陰陽と宿曜として隆盛を極めました。あくまでも余談ですが、かの有名な安倍晴明すら宿曜も使っていたと言う話もあります。
ちょうど宿曜が隆盛を極めた平安時代、藤原氏が権勢をふるうようになると、占いも統治者の秘術から、貴族の社会の秘術へと様変わりしていきます。
貴族の特権として独占されていた宿曜占星術は、密教が衰退し、浄土宗・日蓮宗の隆盛に呼応するようにその姿を消していきます。