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戦国時代~そして現代へ

宿曜占星術の成り立ち
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影響はいたるところに

 「竹取物語」「源氏物語」といった文学にも影響を及ぼしたと言われる宿曜占星術も、平安時代以降になるとその姿は歴史上から消えてしまいます。とはいえ、全く消えてしまったわけではありません。

 貴族政治から武家政治に移行すると、宿曜占星術も武家に流れ、特に軍略に用いられるようになりました。

 これは特に珍しいことではなく、古くは三国時代を代表する諸葛亮孔明がその軍略に占星術(北斗法)を用いた事を代表として、日本でも主立った武将は占星術で未来を占ったようです。宿曜占星術で言えば、かの名将、武田信玄の軍配に28宿が描かれていたりします。

江戸時代になると

 江戸時代に入ると徳川家康の側近中の側近、天海僧正が宿曜占星術を用いたと言われています。また3代将軍家光の頃には、それまでの暦の誤差を修正した貞享歴を完成させた渋川春海が分野説(28宿を地理と結びつけた説)を日本に当てはめるなどの試みもなされたようです。

 さらに時代が進み8代将軍吉宗の頃になると、僧侶の覚勝が「宿曜要訣(3巻)」を、堅雄が「宿曜経提要」「宿曜経要尽図釈」を著わしました。

 明治以降宿曜に関する書物は多く刊行されたようですが、民間で用いるには複雑で未整理の物が多かったようです。

 このように戦国時代には全く歴史の表舞台に出てこなかった宿曜占星術は、この時期に一度口伝が途絶えてしまったという説がついて回るのです。

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