「幸せになりたい」そう願わない人は少ないのはないでしょうか?。でも幸せになったと感じる人はもしかしたら少ないのかもしれません。幸せになる基本とは?。
「幸せ」と一言でいうけれど
大抵の人はそう考える事でしょう。みんなそうなりたくて、がんばっています。これ自体は何の問題もありません。
ただ「私は幸せになりたいのですが、どうしたらいいですか?」となってくるとちょっと問題発生です。
宿曜占星術は「成功のための方法論を導き出す占い」であることは間違いないのですが、「私は幸せになりたいのですが、どうしたらいいですか?」という事にはお答えできないのですよ。理由は「幸せという価値観はあまりにも広すぎる」からなんです。
幸せの形
人間は人生経験を積んで「自分の幸せの形」という物を作り、そして「自分の幸せの形」に向かって努力する事になります。これはどういう事かというと、「一人一人の幸せの形は違う」という事なんです。
最近、40代の男性から「今離婚を考えています。そして2人気になる女性がいます。離婚した方が良いですか?つきあうならどちらの女性が良いですか?。失敗したくないのでアドバイスをください。」という内容のメールをいただきました。
この方には「相性はwebで見る事が出来るのでご自分でどうぞ」と返事を差し上げました。
理由は「幸せになりたい」とは書いてありますが、「私の幸せとはこういう物です」という部分は皆無。例えば「離婚したいのですが、子供の事を考えると迷いが出てきます。どうしたらよいでしょうか?」という物であれば『「離婚したい」という自分の意志と「子供の事」という障害があり、悩んでいます。』という事になります。
しかし、この方は「離婚した方が良いのでしょうか?。つきあうならどちらでしょうか?」という問いかけです。これだけならwebで公開している「相性」を見て、一番良い相性を選ぶぐらいしかありません。でも「それでは幸せになれない」と私は推測します。
なぜ「幸せ」になれないのか?
なぜ幸せになれないのでしょうか?
「宿曜占星術」の限界でしょうか?
答えは「ご自身に幸せの形がない」からです。
この方の問いかけを見てわかるように「配偶者によって幸せになれるかどうかが決まる」と思いこんでいます。確かに「配偶者」というポジションは「幸せになれるかどうかの重要なポジションである事に代わりはありません。しかし、配偶者がどれほどすばらしい人間であっても、幸せにはなりません。
なぜでしょう?
「自分の幸せの形」がない場合、「どんな状況におかれても幸せだとは感じられない」からです。
「自分の幸せの形」がない場合、幸せは「欲望」という名前に変わってしまう事が良くあります。女性を何人も侍らせたい、湯水のごとくお金を使っても無くならないほどお金が欲しい…とエスカレートするだけです。
大抵の場合、そんな人が幸せにはなれません。
幸せになるには「自分の幸せの形」をまず探さなければいけないのです。