依存症
占い師を続けていると多種多様な悩み事を拝見するのですが、「占いの次元ではない物」も多くあるものです。そうなると当然カウンセラーとしての領域に入っていくことになります。多く出くわすのは「依存症」です。今回はその依存症について簡単な説明をします。
「依存症」は病気ではありません。
なんか、早々と犯人を明かすミステリーみたいですが、ここが大事なんで8す。証拠はあるんです。だって「依存病」じゃなくて、「依存症」と書くでしょ?。依存症は症状なんです。
「依存症」は病気ではありません。
依存症の種類?
最近よく聞く言葉に、「パチンコ依存症」というのがあります。パチンコをしないといられない状態の事です。この場合、パチンコ好きでは片付けられません。お母さんがパチンコをしている間、車中に残された子供が、熱射病で死亡した話などもそうだと思います。
また、よく使う言葉に「アル中」なんて言うのもありますが、世間一般で言う「アル中」とは、「アルコール依存症」の事です。
なんか一口に「依存症」と言っても、いろんなものがありそうですね。
ところが、そうじゃないんです。「依存症」は「依存症」でしかないのです。言葉の前に何がついても、単なる「依存症」です。
依存症は1つです。
この2つ(依存症は俗にいう精神病ではない。~依存症といってもそれらは1つでしかない)をよく覚えててくださいね。
では、依存症について順をおって説明していきましょう。
誰でも簡単になる
依存症の原因は、「認めてほしい」と願う心の欲求です。普通、誰でも持っている欲求ですよね。好きな人に振り向いてほしい、上司に認められたい、多種多様にその気持ちは私たちの中にあるものでしょ?。特別な事じゃない。そういう気持ちが人を動かし、努力を生み、成長していく事になるのだと思っています。大切なものです。でも、その欲求が度を越すと依存症を引き起こすのです。
世の中うまく行かないよ。そんな言葉を私もよく使いますが、努力が全て報われるとは限りません。むしろうまく行かない事のほうが多いでしょう。当然ストレスが溜まりまよね。そんな時あなたならどうします?。お酒を飲む?旅行に行く?趣味に没頭する?恋人や家族と過ごすのも良いですね。人それぞれいろんな形があると思いますが、出来ないときはどうしましょう。寝る?それも良いアイデアです。でも、うまく解消できずにいる場合も多いはずです。こんなもんだろうと割り切れれば良いのですが、なかなかどうして本音の部分では割り切れないのが人の常。こんなとこが人の日常です。
ストレスが引き起こす現代病がクローズアップされる昨今、「認められたい」気持ちが、「誰も認めてくれない」気持ちに速変りするのに時間はかかりません。依存症へ一歩近づいてしまいました。
ここから先は、なんともあやふやです。何故かというと依存症の定義は「集団生活が営めない状態」ということで、こればっかりは主観の問題だからです。どれだけ酒を飲んでも他人に迷惑をかけなければ良いわけで、会社で酒を飲みながら仕事をしていても、それを許す環境があるなら良いのです。こんな事が起こるとは思えませんが(周りは不快でしょうし、第一本人の体が壊れます。まともな生活ではありません。その時点で依存症といえるでしょう)、それぐらいあいまいで、専門家でもこうだと言える方はいらっしゃいません。
それに、多かれ少なかれ誰しも何かに依存してるものなのです。あの人のために、家族のために、全て依存と言えるでしょう。依存自体が悪いわけではないと私は考えています。依存せずに済むのならそれに越した事はないのですが…。
もうお分かりですね。依存症とは考え方の問題です。そして、その考え方により自分を苦しめ、周りをも巻き込み「集団生活が営めない状態」の事なんです。私は「コミュニケーション不全」なんて言ってます。ですから、とても厄介なものなんです。
距離感を保って
経験により人の考え方が作られます。そして個性が作られていくのです。考え方を否定する事は、その人を否定する事になりかねません。
依存症の人に、「ここがいけないんだよ」って言って解決しません。もしあなたが「お前は間違ってる」と言われて素直に聞けますか?また、他人の言う言葉ばかり聞いていられますか?よしんば出来たとして、180度違う事をAさんBさんから聞いたらどうします?自分で判断するしかありません。すなわち自分なりの基準、自分の考え方(個性)を持つ必要があるのです。もしそれが依存症といわれるものだったら?
依存症は病気ではない分厄介で、実は直りやすい(あえてここでは「治る」という言葉は使いません)ものと考えています。要は時間と周囲の問題だからです。
依存症を考えるということは、人と人とのコミュニケーションについて考える事と私は思っています。